「紫紺会」結成のススメ おとなのサークル活動を始めよう!
おとなのサークル活動を始めよう!「紫紺会」結成のススメ
学生時代、毎日ワクワクするようなサークル活動がありました。私は1年に入学してすぐに「郷愁(ノスタルジー)研究会」という、実態は漠然とした、とにかく楽しい大学公認サークルを設立しました。同期、後輩諸君と一生の友情を育み、学生生活に文字どおり悔いのない青春を謳歌しました。
私たちが卒業して数年、サークル自体は予想どおり見事に空中分解しましたが、サークル内で何組かは交際後に結婚することになったり、私の両親が彼らの仲人になったりと、未だに強い絆で結ばれています。そんな心ときめく学生時代を再び体現できるのが、今回ご紹介する「紫紺会」です。
結成方法はシンプルです。10名以上の校友が集まったら、まず名簿と会則と活動計画(年度計画)を作ります。審査を通れば『〇〇紫紺会』が成立し、晴れて大学から紫紺旗が授与されます。紫紺会には、明治大学の名だたる有名団体、有名サークル、有名倶楽部のOB会が名を連ねていて、国内外で活動しています。
さらに紫紺会にはこんなメリットがあります。
1.「紫紺会」は商標登録されています
学校法人明治大学がその商標権者です。M会やT会に負けない独自の紫紺カラーを出して、校友会を補完するクラスター組織として母校を盛り立てていきましょう。
2.紫紺館の設備を利用できます
会議室の会議・パーティが月1回(最大3時間)まで無料で利用できます。
3.校友会の公式Webと連携して情報発信できます
公式SNSやメルマガ等への情報発信、ホームページ、SNS等のURLリンクなど、公式ならではの数々の特典があります。

いかがでしょうか?
最初は少し肩身が狭いと感じるかもしれません。でも、物怖じせずに設立にトライしてみてください。いつもの飲み仲間の延長線上で徒党を組んでも構わないのです。お待ちしています!
校友会公式ホームページでは、詳しい登録申請方法や各地の『〇〇紫紺会』を紹介しています。ぜひこちらもご覧になってみてください。
■紫紺会について
https://www.meiji-shikon.net/shikonkai_group/
国内22番目の紫紺会、「明治神宮紫紺会」とは?
さて、ここで私が所属する「明治神宮紫紺会」についてご紹介します。2015年に山浦会長と西井名誉会長が、応援団の第94代幹部を慰労したことを機として結成されました。いつもは応援する側にいる「応援指導班」、「バトン・チアリーディング部」、「吹奏楽部」の幹部の卒団にあたり、今度は応援される側にまわってもらおう、4年間のご苦労を慰労したいという趣旨でした。コロナ禍で中止せざるを得なかった2年間を除き、今まで8回開催してきました。
他の紫紺会と決定的に違う「明治神宮紫紺会」の特徴は、校友以外に広く門戸を開放していることです。主に明治神宮球場で知り合った多くの応援仲間が集います。校友もいれば他大学卒業の熱心な明治ファンの方、体育会のOB・OGの方、父母会のOB・OGの方もいらっしゃいます。
校友はもちろん、それ以外の熱心な明治ファンの方々に自分の居場所を作っていただくことで、少しでも所属意識が芽生えるメソッドを提供しています。つまり共通の活動を楽しむことで「明治神宮紫紺会」が心の拠り所となっていく。それにより心をひとつに最強の明治ファンをつくる、という究極のおとなのサークル活動なのです。
活動の主戦場は明治神宮球場周辺。東京六大学野球の応援団、硬式野球部の応援にとどまらず、明治大学の体育会全般も広く応援しています。これからどんどん活動範囲を広げてまいりますので、入会ご希望の方は下記までご連絡ください。
明治神宮紫紺会 連絡先:i@33230124.com
明治神宮紫紺会 参加者募集中!(校友会公式ホームページ「柴紺会について」より)
さて、東京は新宿生まれの私のこと。よく遊び、よく働きよく生きる
■1958年(昭和33年)東京都新宿区生まれ
A man at five may be a fool at fifteen.
五つで神童、十で才子、十五過ぎれば只の人。6歳からボーイスカウトにひたすら熱中。この時に心に刻んだ「ちかいとおきて」が生活信条。死してあともスカウトなのだ。
■1965年(昭和40年)新宿区立牛込仲之小学校入学
1964年の東京オリンピック開会式で五輪旗と入場行進した。鼓笛隊に入りたくて越境入学。初心貫徹、鼓笛隊で小太鼓を叩く。
■1971年(昭和46年)新宿区立牛込第一中学校入学
中学が楽しすぎて遊びすぎたのを今になって後悔。漫画「釣りキチ三平」のような、市ヶ谷のお堀で釣り三昧の毎日。いっそプロの釣り師になればよかった。
■1974年(昭和49年)東京都立広尾高等学校入学
通学路に渋谷駅という致命的な悪魔の誘惑。高校が楽しすぎて遊びすぎで浪人。浪人すれば何とかなると安心しきっていたら、翌年から共通一次が始まるというお上の気まぐれな方針変更。必死の駆け込み受験生、地獄の入試となった。
■1978年(昭和52年)明治大学入学
入学した春に東京六大学野球で優勝したのが運の尽き。気が付いたら歌舞伎町の池で鯉と泳いでいた。4年間で提灯行列4回、ラグビー早明戦は3勝1敗。大学が楽しすぎて遊びすぎたけど要領が良いのでなぜか成績は優秀だった。
■1982年(昭和56年)明治大学商学部商学科卒業
さあ、バブル突入!好景気到来!売手市場で気楽な就活。
■1982年(昭和56年)日本ビクター株式会社入社(現 ㈱ JVCケンウッド)
入社後はリクルーターとして明大生の就職活動に貢献。10年に渡り有能な文科系の学生を100名近く入社させた。世の中は浮かれていたが、時はなんとVHS・βの世界ビデオ規格戦争の真っただ中、職場は毎日戦場であった。
■1987年(昭和61年)最愛の妻と結婚
89年に長男、92年に長女を授かる。
■1999年(平成11年)石川商事株式会社入社
サラリーマンは超楽しかったが、「そろそろ戻って来ないか?」という父の言葉で実家の稼業を継ぐことを決意。稼業は創業60年の設備時計製造・販売・サービスというニッチで特殊な会社である。経営者は本当に辛いが、やりがいがある。
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■2019年(令和元年)校友会東京都西部支部 渋谷区地域支部長
ちょうどコロナの時期で思うような活動ができなかった。4年前に調布に引っ越したが、未だに愛着ある渋谷区地域支部に籍をおいて活動している
■2023年(令和5年)校友会東京都西部支部 幹事長
校友会東京都西部支部調布・狛江地域支部 副幹事長
ライフワークは暇を見つけてのエキストラ俳優。朝ドラ、大河、CM、邦画、洋画、配信、TVドラマ、再現ドラマ、バラエティなどに数多く出演
■2025年(令和7年)明治神宮紫紺会 幹事長、明治大学校友会本部委員に着任
明治大学は卒業してからがもっと楽しい
一生涯に渡って応援できる学生スポーツがあるのは幸せなことだ。常に試合の結果や卒業生の活躍が気になる。社会に出て様々な先輩・同期・後輩と素晴らしい出会いがあった。明治大学出身と判っただけで特別な関係になる。
校友会は、普通に生活していたら出会えなかった素晴らしい方々との邂逅がある。同じ大学出身というだけで瞬時に心が打ち解けあえるのが奇跡のようで楽しい。
学生時代の4年間に支払った学費の100倍くらいのrewardを明治大学から、見える形見えない形で頂いたと感じる。この恩恵は、母校に奉仕と寄附で少しずつ返済しようと思う。
最後に 八幡山第三合宿所の管理人、常に学生たちに愛されている守護神、奥田直樹さんの早期の全快をお祈りいたします。
ほいたらね

1982年
商学部卒
石川 富弥