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「自分はどうしたいか」。キャリアはあなたの人生そのもの

卒業生の活躍

「自分はどうしたいか」。キャリアはあなたの人生そのもの

憧れの明治大学。挫折乗り越え校歌聞く

私は長野県の県立高校出身です。幼い頃から野球に没頭し、高校でも硬式野球部でした。決して強豪校ではありませんでしたが、毎年夏合宿には、明治大学の硬式野球部の選手がコーチとして練習に参加してくれました。それこそリーグ戦に出場するような有名選手も来てくださいました。

夏の間、彼らからさまざまな指導を受けたり、神宮の話を聞いたりするうちに明治大学の野球部に入ることを夢見るようになりました。しかし現実は厳しく、3年生のときに怪我をしたこともあり、野球での進学は難しくなってしまいました。そのため一般学生として一浪の末、文学部文学科(日本文学専攻)に入学しました。

憧れていた野球部への入部は叶いませんでしたが、武道館の入学式で聞いた大学校歌は、今でも忘れがたい思い出となっています。

思い出の入学式、武道館で

役に立たない学問を選んだのか?持ち続けた疑問と葛藤の価値

上京して代田橋にあった下宿を借り大学生活をスタートしました。和泉校舎から歩いて5分だったことから、すぐにみんなのたまり場となりました。下宿では他学部の学生から「清少納言や夏目漱石を学んだところで、何の役に立つんだ?」と言われることがよくありました。本が好きという理由だけで深く考えず文学部を選んだ私にとって、こうした指摘は少なからず影響を与えました。「この学部を選んで本当によかったのだろうか」という疑問と共に授業を受けていた気がします。

しかし今振り返ると、この時期に多くの作品を読み、先生や仲間とともに登場人物の心理や感情を洞察し、さまざまな価値観について議論した経験は、実社会において大いに役立っています。

社会では、異なる価値観を持つ相手と関わり、対話し、創造的に価値を生み出していくことが求められます。その意味で、文学部での学びはとても有意義だったと、今でも強く感じています。

少し真面目に書いてしまいましたが、とはいえ世の中はバブル絶頂期。私もその浮かれた空気に飲み込まれていた一人でした。野球サークルに所属し、文学部、サークルと良い仲間に恵まれ、バイトもいくつかを掛け持ちし、時代の空気感そのままに「浮かれた」大学生活を送っていました。

就活の時期を迎えても進路志望は明確でなく、文学部の多くの友人が目指していた教職をひとまずの第一希望として、長野の母校に帰り3週間の教育実習を受けました。実習はとても楽しく教職は自分にとって天職かもしれないと思ったほどです。

しかし教育実習から戻った翌日、サークルの試合中にアキレス腱断裂という大怪我を負い、2ヶ月の入院生活を送りました。その間に様々な就活スケジュールが進んでしまい、教職に対する意欲も薄れてしまったのです。

退院後は松葉杖をつき、モチベーションも低いままで一般企業への就職活動を開始。いくつかの企業を見ていく中で、応援団を卒業された先輩がリクルート社に入社しており、その方のご縁でリクルートに興味を持つようになりました。

複数ある関連会社を見ていく中で、当時リクルートグループで最も勢いよく成長していたリクルートフロムエーというアルバイト情報誌の会社に滑り込みで入社することができました。

野球サークルでのショット:左が筆者

厳しかった営業経験。「はたらく」を知る、大きな財産に

入社後の配属は営業職でした。アルバイトや社員を募集している会社や店舗から、求人広告を「取ってくる」仕事です。現場に配属されると内定時代の厚待遇からは一転。与えられたテリトリーの端から端まで一件残らず飛び込み、名刺をもらってくるという厳しい営業研修が始まりました。まさに現実の洗礼をもろに浴びせられた感覚です。

当時は、断られるばかりの飛び込み訪問に意味を見出せず、手を抜く事ばかり考えていました。しかし、数をこなしていくと、どんな会社にもこの身ひとつで飛び込んでいける度胸が身についていました。この経験は大きな収穫でした。

営業成績は下から数えた方が早いほどでしたが、深刻な人手不足の時代背景もあり、徐々に求人広告を取れるようになりました。リクルートが得意としていたのは、求人条件にとどまらず、仕事の魅力を読者に「手触り感のある情報」として伝えることでした。

給与や休日などの基本情報だけでなく、職場の雰囲気、仕事のやりがいなどを、私たち営業が実際に店舗や会社に訪問してヒアリング、感じ取った上で求人広告に反映していました。様々な業界に伺い、世の中の「はたらく」を広く知ることができたこの経験は、私のキャリアにおいて大きな財産となりました。

厳しい現実を知る前の内定時代

「イクメン」が開いた新たなキャリア

プライベートでは20代後半に子どもが生まれ、私は育児をしながら仕事をする、今で言う「イクメン」の走りでした。当時はまだ、男性の育児参加について職場の理解が得られる時代ではありませんでした。

子どものために遅出や早退を繰り返すうちに、徐々に重要な会議やプロジェクトに呼ばれなくなっていきました。30代前半の頃で、ちょうど「上」に行けるかどうかの分かれ道に差し掛かっていましたのですが、いわゆる「(昇格の)ルート」から外れていくのを感じました。

が、逆に、当時の男性社員にはあまりできなかった育児を、私は世の中に先んじて経験することができたのです。数年後、営業組織の改編で主婦の営業チームを作ることになりました。「育児経験がある、主婦と話が合うだろう」ということで、私がそのリーダーを任されることとなりました。

久しぶりに「家」から社会に出た主婦の皆さんはとにかく話しがしたい。通常、ビジネスの現場では結論から話すのが基本とされていますが、主婦チームのメンバーの業務報告はまず「今朝洗濯機が故障した」話から始まります(笑)。私は話を遮ることなく徹底して話を聞くことに努めました。

そうして信頼関係を築いたメンバーは良いチームに育っていきました。上司には「この仕事はお前しかできない」という言葉をもらい、一時はルートから外れると感じたこともあった数年間で得た経験は自分の強みと認識するようになりました。

折しも会社では「タウンワーク」という地域密着型のフリーペーパーをリリース。拡販する中で、地元に強い我が主婦チームは大きな戦力を発揮したのです。

新たな学び「キャリアカウンセラー」との出会い

ある時、同僚がキャリアカウンセラー*1の資格取得のために勉強していることを知りました。その同僚から「佐々木はよくメンバーの話を聞いてあげているから向いているんじゃない?」と言われたことがきっかけで興味を持ちました。ちょうど将来に向けて何か資格が必要なのでは?と考えていた時期でもあったため、思い切って講座を受講することにしました。

毎週土曜の朝から夕刻まで、多様な業界から集まった仲間たちと共に3ヶ月間の学びがスタートしました。その講座で学んだことは、キャリアに関するさまざまな理論やカウンセリングの基本について。どの内容も大変興味深いものでした。

特に印象に残っているのは、「聴くこと」についての気づきです。受講前、私は人の話を聞くことが得意だと思っていました。しかし実際に練習をしてみると、いかに自分が人の話をしっかりと聞いていなかったのかを痛感することになりました。

自分本位で相手の話を聞いていたことに気づき、相手が本当に言いたいことを「聴く」ことは決して簡単ではないことを、この講座を通じてしっかりと理解したのです。

ケーススタディーで、講座の初日と最終日に、ある相談内容に対してどのように対応するかを紙に書いて提出するのですが、それぞれの内容を見比べた時、この3か月間で自分がどれほど成長したかを実感することができたほどです。

資格も無事に取得。その後も学びを活かしながら、若手メンバーの育成に励みました。

*1:キャリアカウンセラー 2016年4月に職業能力開発促進法に「キャリアコンサルタント」として規定され国家資格となっている。

「自分はどうしたいの?」キャリア支援への転身と想い

2008年のことです。景気の影響を強く受ける出来事がありました。リーマンショックによる打撃です。損害は甚大で、業績は急激に悪化。組織全体も深刻な影響を受けたのです。

また、その数年後となる2011年には東日本大震災が発生。将来への不安がさらに募った時期でした。なかなか景気が戻らない状況が続く中、勤務中に大動脈解離を発症し、3ヶ月の入院生活を余儀なくされました。

病院のベッドで横になりながら、この予測ができない世の中で自分が今後どのように社会に役立てるのかを考えました。その時に人々の「キャリア」の支援に携わりたいという気持ちが大きくなり、退院後程なくして現在の勤務先である「キャリアカウンセリング協会」というNPO法人に入職しました。

リクルートでは「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という創業者のメッセージが浸透していました。「どうしたらいいでしょうか?」という相談には必ず「で、お前はどうしたいの?」という言葉が返ってきます。

このやり取りが日常的に交わされているもので、自然と「会社や組織がどうしてくれるか」ではなく、「自分はどうしたいか」を考える習慣が身についたように思います。

しかし、様々な企業のキャリア支援の現場に関わってみると、特に日本の大企業では今でも「会社が社員を守る」という意識が根強く残っているように感じます。視点を変えると、多くの人が「会社はどうしてくれるのか」と考え、自分の身を会社に捧げる社会が私の目には映っています。

学生の皆さんへ:変化の時代のキャリアとは

「キャリア」とは仕事を中心とした「人生そのもの」のことです。

学生の皆さんがこれから歩む先には少子高齢化、グローバル化、ITの急激な進化など、変化の連続だと思います。コロナ禍のように、生活スタイルが大きく変わるような出来事がまた訪れるかもしれません。その中で、自分の人生を他人に委ねるのではなく自分で決断していけると良いですよね。

もちろん、私にも明確な答えはありませんが、今思うのは「今の自分は自分が決めたのだ」と思うことの大切さです。「キャリアオーナーシップ」という言葉があります。自分のキャリアは自分で責任を持ち自分で作っていくことが大切だという考え方です。若い皆さんには、自分の責任でつくる「キャリア」だからこそ、先の読めない世の中で作る「キャリア」だからこそ、周囲に流されず「夢」を大きく描いてほしいと思っています。

最後に、後輩の皆さんに仕事の意味を考えるワークで用いられる一つの寓話をお伝えしたいと思います。

昔、旅人が、ヨーロッパを旅していました。
ある街にさしかかると辛そうな顔をしてレンガを積んでいる男に出会いました。
旅人は男に、「何をしているのですか?」と尋ねました。
男は答えました。「見ての通りレンガ積みさ!朝から晩まで一日中レンガを積んでクタクタさ。
さぁ、忙しいから帰ってくれ」しばらく歩くと別の男が、またレンガを積んでいました。
旅人はまた「何をしているのですか?」と尋ねました。
男は答えました。「レンガを積んで壁を作っているのさ。家族を養うためにね」またしばらく歩くと別の男がレンガを積んでいました。
旅人は「何をしているのですか?」と尋ねました。
男は答えました。「俺たちは歴史に残る大聖堂を作っているのさ!多くの人が祝福され悲しみがはらわれる素晴らしい大聖堂を作るのさ!」

あなたは社会に出て、何のためにレンガを積んでいきますか?

 

1988年
文学部文学科卒
佐々木 貴次