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全力で挑戦!人事のプロへの道のりを極めています!

卒業生の活躍

全力で挑戦!人事のプロへの道のりを極めています!

全ての経験を力に変えて

2014年に政治経済学部を卒業した山口真人です。現在は外資系自動車部品メーカーに勤務し、人事(HRBP:Human Resources Business Partner)を担当しています。今回は自身が明治大学に入学した経緯や在学中の体験、そして、明治で学んだ経験が卒業後のキャリアにどのように繋がってきたのかを少し紹介できればと思います。

できるようになる楽しさ実感。浪人生活を経て掴んだ入学

遡ること高校生時代。正直、部活漬けの日々でした。高校受験で第一志望の公立高校に落ち、私立の高校へ行くことになりました。サッカー部に所属し、平日は朝の7時から9時まで、夕方は16時から21時過ぎまでグラウンドで過ごす日々。残念ながら一度も公式戦に出場することはなかったのですが、3年生の最後の大会でチームは全国優勝しました。

全国優勝後、自らの進路を考えた時、大学でサッカーを続けられるほどの実力はなく、また、今すぐに大学へ進学して熱心に学びたいことがあるわけでもありませんでした。高校生活にできなかったアルバイトと勉強をしようと思い、卒業後、パン工場でアルバイトをしながら、受験勉強を始めましたが、両立は難しく、1年目は中途半端な成績で終わってしまいました。

ただ、勉強自体はやればやるほど楽しくなり、ペースは遅いながらも、「できないことができるようになる」過程はサッカーの練習と同じだなと少しずつですが手ごたえを感じていました。そういったこともあり、両親にもう一年浪人することを説得して勉強に励んだ結果、晴れて明治大学政治経済学部への入学を決めたのです。

世界で自分を問う。UC Berkeley留学という財産

周りの友人たちと比べて、2年間遅れての大学進学でしたから「後悔しないように、何事も全力で取り組み、経験できることは全て吸収しよう」と意気込んでいました。大学の授業では、受験勉強での暗記学習から解放され、社会や経済の仕組みを理解しながら学べることに感動しました。

1年生からジャーナリズムを学ぶ教養演習に所属し、教授や学生とディスカッションをしたり、新聞社で記者として働く大学の先輩へインタビューをしたりと、自分が興味あることには貪欲に学びを深めていきました。

留学にも興味を持っていましたが、2年間の浪人経験があったことから「留学して、就活が遅くなるかも…」と不安に思い、長期留学は選択肢にありませんでした。そんな中で、和泉キャンパスの掲示板で偶然見つけた「UC Berkeley summer session」の参加募集に目が留まりました。米国カリフォルニア大学バークレー校が開催するサマーセッション、つまり夏の短期留学でした。調べる中で、世界トップレベルの大学で学べる貴重な機会だと感じ、すぐに申し込みました。

Berkeleyへの留学は間違いなく人生の財産となりました。たった3か月間ですが、世界中から集まる優秀な学生たちと共に「自分はどのような人間なのか?」、「何を目的にBerkeleyへきたのか?」、「将来は何を成し遂げたいのか?」を夜遅くまで語り合ったことを今でも覚えています。

ノーベル経済学賞を受賞した教授の下で育った先生方約20人の授業で、世界トップクラスのコンサルティングファーム、イギリスの新聞記者、オリンピックを目指すバスケットボール選手、Berkeleyの正規学生とともに、政治や経済について幅広く学びました。

ディスカッション中心のクラスでしたが、英語を全く聞き取れず、初日の授業後に、慌てて電気屋さんでICレコーダーを購入。約600ページある教科書を、夜中の3時まで予習&復習する毎日で大変でしたが、授業中は、先生から容赦なく、「Masato、あなたの意見はどう?」と聞かれ、知っている英単語を並べながら必死に食らいついていきました。

Berkeleyでは学生寮に入り、そこで出会った仲間とはSNSでつながり、2,3年に一度は今でも会って当時の思い出を語り合っています。

人生の財産となったBerkeleyの生活

社会人スタート。探し求めた「手触り感」の重要性

将来は、海外で仕事がしたいと思っていました。バックパッカーとしてアジアを旅する中で「Made in Japan」に数多く出会う中で、特に日本の自動車に携わって、世界中の人々の生活に貢献したいと思うようになりました。そこで大手自動車メーカーの自動車部品サプライヤーとして知られるA社へ就職。

3か月の工場実習の後、希望どおり営業部に配属となりましたが、入社前に思い描いていた社会人像とは少し異なっていました。顧客へ提出する見積書を作成するため、納期に追われながら電卓を叩き、決められたプロセスを手順通りにこなすルーティーンのようなことよりも、自分なりのアイディアや直感を臨機応変に生かせる仕事を求めていることに気付きました。やるべき仕事を頭では理解しつつも、いざ手を動かそうとすると、思うように身体が動かなったのです。全世界で走っている車向けに数百億円規模のビジネスに関わっていたものの、自分が何かを成し遂げたという「手触り感」が全くなかったのです。

一方、研修や育成制度はとても充実していていました。社会人としの基礎だけではなく、メーカーが提唱する生産方式を中心に、仕事をする上でのマインドセットや大切な考え方を学べた期間となりました。自部署の上司だけではなく、他部署や得意先の担当者からも「仕事とは何か?」を徹底的に叩き込まれ、社会人として成長していくための礎となる経験でした。

A社同期と

得意×好きを軸に人材サービスへ転職。確信した「人こそ全て」

働く中で湧いてくる疑問に対し、徹底的に自己分析を行いながら次のステップを模索し「自分はどんなことが得意なのか?」、「何が好きなのか?」を軸に転職活動を決心。当時はベンチャーと呼ばれた人材サービス企業B社に入社しました。ここでは日系大手企業向けに中途採用のコンサルティング業務を担当し、採用における顧客の困りごとがあれば、徹底的に調べ、顧客へヒアリングを行い、成果が出るまで文字通り顧客に伴走し続けました。

B社は、自分なりのアイディアや経験を生かせる環境でした。中途採用を行ったことがない企業、転職経験のない顧客担当者に対し、「なぜ、中途採用が必要なのか?」、「どのような人材を採用すべきか?」、「どのように自社の魅力を候補者や伝えるのか?」といったことを説明しますが、顧客に納得感を持って行動してもらうようになるまでには、なかなか時間のかかるものでした。ただ、自分自身の転職経験を生かし、着実に成果を残せたという手ごたえはありました。

一方で、B社で仕事をするにつれて、企業経営にはやはり人材こそが全てであると思うことが多くなりました。少なくとも、私が担当させていただいた業界の企業では、ビジネスモデルや目指している企業戦略は大きくは変わらず、在籍している社員が、正解が分からなくとも、自社の企業ミッション/ビジョンを信じて、最後までやり切れるかどうか?が勝負を分けていたのです。特に、従業員の働くモチベーションや適材適所での人員配置が重要なのではないかと感じました。

しだいに私はB社での人材採用までの支援だけではなく、企業の人事として、採用の前後のプロセス、つまり、「企業成長のためにどのような人材を採用するべきか」という入社の要件定義や、入社後の定着や育成にも携わりたい、という想いを持つようになりました。そしてさらなるステップアップとして人事への転職を目指しました。

迷い超え自動車業界で人事のプロ目指す

新卒での社会人生活のスタートが自動車部品サプライヤーA社だったので、自動車業界の知識や経験を生かせるのではないかという思いがあり、現職の外資系自動車部品メーカーへの転職を決意しました。もちろん、迷いも大きくありました。大企業は自分が一度諦めた道でもあり、転職した人材サービス会社では大きなやりがいと情熱を持って、毎日楽しく仕事ができていました。しかし、人生100年時代、30代以降の自らキャリアを人事に置き、人事でのキャリアを積み重ねたいという思いの方が大きかったのです。

現職では、HRBP(Human Resources Business Partner)として、組織の成長や課題解決を人事面から支援する役割を担っています。事業部門と密に連携し、人材開発、組織開発、マネジメント支援などを通じて、企業の持続的な競争力向上を目指しています。日々、役員から未来に向けた組織体制の相談から、従業員からのキャリア相談など、様々なことが起こり、業務は多岐に渡っています。

人材サービス企業B社の仲間たち

過去の経験すべてを力に、人事のプロを目指す

今後は、人事のプロを目指したいと考えています。私が新卒の就職活動をしていた時は、グローバル人材、働き方改革がキーワードでしたが、今では、ジョブ型雇用や人的資本経営という言葉が新たに出てきています。働き方がより柔軟になり、生き方そのものが働き方に繋がりうるものではとも感じます。

時代が変わるにつれて、雇用保険法や育児介護休業法といった法律も毎年のように変化し、人事として、最新の制度を理解し、従業員へ説明できるように努めなければなりません。

従業員が自社で安心して働き、挑戦し続ける環境づくりが人事のミッションだと考え、「まだ出会えていない、自分の潜在能力に気付き、発揮できる機会」を多く作りたいと考え、令和7年度の社会保険労務士試験に合格できたので、人事として、労働・社会保険の専門家としてのキャリアを追求していきます。

高校での3年間や2年間の浪人生活、明治大学での4年間を振り返ると、全ての出来事が繋がっているように感じます。自らの探求心と好奇心に身を任せ、小さな挑戦と失敗を積み重ねてきたことが今の自分を形成しています。

プライベートでは、妻とたくさん海外旅行に行きたいと考えています。知らない土地で、その国の文化を体験し、新しい発見や価値観に触れることで新たな学びに出会えるからです。先日は北イタリアのドロミティ地方に行き、大自然の中でハイキングを楽しみました。

後輩たちへ伝えたい。時代を超えて輝く「全力で挑戦」

明治大学では、留学の他、NPOでのボランティア活動、国際交流サークル(Meiji International Friendship Organization)設立、鯖江ブランド創造プロジェクト、政治経済学ではない他学部の授業の聴講、フィリピン・マニラでの1か月の語学留学、新聞社でのアルバイト、子供向け就業体験テーマパークでのアルバイト等、ここには書ききれない程の貴重な体験ができました。

もし、このブログを読んで下さっている在学中の方がいれば、「全力で挑戦すること」の重要性を伝えたいです。これまで経験していないことに全力で挑戦することで、できないことができる自分に出会え、そして新しい機会に繋がり、さらに充実感が増すからです。時には失敗と思えることもあるかもしれません。しかし時間が経てば、その失敗は必ず学びになります。ぜひ未来に向かって全力で挑戦してください。

2014年
政治経済学部卒
山口 真人

参 考 情 報

山口さんの活動から

・UC Berkeley:カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)。1868年に創立されたアメリカを代表する公立名門大学。サマーセッション以外にも多数のコースがある。国内外の学生から社会人、地域の生涯教育など幅広い教育を提供することでも知られている。

・国際交流サークルMeiji International Friendship Organization。略称MIFO。
難民問題や環境問題について考え問題解決に向けて活動している。山口さんが難民であったミャンマー国籍の学生と出会ったことをきっかけに設立された団体。

MEIJI Nowより
ボランティアサークルMIFO「『Meal For Refugees』で国際支援に貢献!国際交流も魅力!」(https://meijinow.jp/activity/circle/80061

・鯖江ブランド創造プロジェクト
明治大学創立者の一人である矢代操の出身地である鯖江市と連携したプロジェクト。

明治大学公式HP より
https://www.meiji.ac.jp/social/japan/founders/sabae.html