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生涯、音楽を楽しめる環境を提供したい

卒業生の活躍

生涯、音楽を楽しめる環境を提供したい

みなさん、こんにちは。明治大学大学院 先端数理科学研究科 先端メディアサイエンス専攻1年の潮田駿です。

昨年度(2024年度)まで、総合数理学部先端メディアサイエンス学科に4年間在籍し、学内推薦を経て大学院に進学しました。学部生時代は大学公認サークル「明治大学交響楽団(通称:明オケ)」に所属し、第100代幹事長を務めました。

本稿では、私自身の自己紹介を交えつつ、創立100周年を迎えた明治大学交響楽団(以下、明オケ)*1での活動を紹介させていただきたいと思います。

*1 明オケ:明治大学交響楽団は、1923(大正12)年に新交響楽団(現NHK交響楽団)創設時のメンバーであった故尾原勝吉先生(当団永久指揮者)等の手によって創設されました。明治大学のサークルの中で唯一のオーケストラサークルであり、2023(令和5)年で創立100年目を迎えた歴史のあるサークルです。(明オケ公式HPより https://meioke.com/

卒業式で明オケ同期と

音楽に囲まれて育つ。10代前半に演奏旅行でドイツへ

私は3歳でリトミックを始め、6歳よりピアノ教室に通い始めました。姉もピアノ教室に通っていたこともあり、姉弟で幼少期から音楽に親しんできました。

中学入学後は、明治大学付属中野(明大中野)中学校の音楽部に所属し、初めてヴァイオリンを始めました。音楽部に入部して2か月後には初めての本番を迎え、中学1年の終わりには演奏旅行でドイツを訪れるという、大変貴重な経験をした後、明大中野高校でも音楽部を続け、計6年間で数多くの曲を演奏しました。

大学進学はもちろんながら明治大学です。付属校推薦で明治大学総合数理学部に進学し、大学唯一のオーケストラサークルである「明オケ」に入団。中高時代に明大中野音楽部で一緒に活動をしていた同期のほとんどがそのまま明オケに入団しました。

ベートーヴェンの銅像 演奏旅行で訪れたドイツ ボンのベートーヴェンハウスにて
(2016年3月29日撮影)

親友の誘いで交響楽団へ。何と新入生の8人がヴィオリストに

大学に入学する数ヶ月ほど前、明大中野音楽部で高校時代にヴィオラを弾いていた親友に「ヴィオラをやってみないか?」と誘われ、中学・高校ではヴァイオリンを弾いていた私が、大学ではヴィオラに挑戦することになりました。

ヴィオラは、大きさはヴァイオリンよりも大きく、人間の声に最も近い低い音を出すことができます。オーケストラで厚みや広がりを出す役割を担う、ヴァイオリンとは一味違う美しい音色を出す楽器ということもあり、ヴィオラ奏者にはヴァイオリン奏者から転向した方が多いのも特徴といえます。

当時の明オケでは、ヴィオラ奏者の先輩は少なく、2年生が2人、3年生が2人。オーケストラにしては、かなり少人数なパートでした。ですが、私たちの学年で入学したヴィオラの人数は、なんと8人。ヴィオラというマイナーな楽器で、8人の新入生が入団するのは、明オケとしてもかなり珍しいことだったと思います。

明オケは、年に数回行われる演奏会に加え、合宿や納涼船・運動会など、多くのイベントを実施しているサークルです。12月には、その年の集大成でもある定期演奏会が開催されるのですが、私が入団したのは2021年4月。

当時は新型コロナウイルスの流行で活動が制限され、演奏会や合宿などの団のイベントが相次いで中止となる事態に。思うようなサークル活動・学生生活が送れない先輩方の姿に心が痛みました。時間はかかりましたが、感染状況が落ち着くにつれ、少しずつ活動も再開されていきました。

コロナ禍を経て活動再開。第100代目の幹事長担う

明オケでは、2年生の1月から3年生の12月までがサークルを運営する「代」となります。2023年は、私たちの学年がその運営を担いました。この年は、新型コロナウイルスの感染状況が落ち着き、全てのイベントを流行前のように実施できた最初の年でした。さらに、明オケは創立から100年目という記念すべき年を迎え、そんな特別な年に、私はご縁があって第100代幹事長を務めることになりました。

実は、幹事長になったきっかけも、私がヴィオラに転向する後押しをしてくれた親友の一言。「幹事長、やってみたら?」。この言葉をもらったことで、立候補を決意したのです。コロナ禍が落ち着いた上に創立100周年を迎えられたことは大きな喜びであることは言うまでもありません。

20240121_100周年祝賀会での100代幹事長代表挨拶

歴史ある集団を率いる責任とやり甲斐の中で得た、たくさんの学び

明オケの幹事長の仕事内容は、ひとことで言うと「明オケの行事全てを統括し、あらゆる面で代表となる」です。サークルの代表として、1年間の方針を決定し、大学・部長・旅行会社・父母会・OBなど外部関係者と連絡をとるだけでなく、団全体及び団員の行動に対して責任を取ることも仕事内容に含まれます。100年の歴史があり、200人規模の大きなサークルとなると、その分の責任感もかなり大きなもので、とてもやり甲斐のある役職でした。

イベントが成功した時には何事にも変えることのできない達成感を感じられる瞬間ではあるのですが、ビジネスマナーや忍耐力、コミュニケーション力、協調性など、たくさんのことを学ぶことで得られるものだと考えています。

明オケは1つ1つのイベントが大規模です。団員の参加人数も多く、多方面の業者・関係者とも連携を取り、それに伴い動くお金も大きくなります。数々のイベントを乗り越えていくうちに、最後までやり抜く粘り強さと責任感が身についたことを強く自覚しています。

研究活動とサークル活動、密な両立の日々を振り返る

先述のとおり、明オケは1年を通じて演奏会や行事が続くため、活動が落ち着くのは7月と1月の試験期間のみです。そのため、学業との両立は大変でした。総合数理学部先端メディアサイエンス学科では、1年生から研究室配属(仮配属)があり、2年次もまた違う研究室に配属(プレ配属)されます。

3年次には最終的に「卒業研究」を行う研究室に配属されます。3年次では、映像・画像処理について研究を行う鹿喰研究室*2に所属し、卒業研究に向けて本格的な研究活動を始めました。やはり、研究活動とサークル(特に幹事長としての業務)の両立は簡単ではありません。

明オケの幹事長として発生した業務はできるだけ当日中にやること、外部とのメールや団員からの質問の連絡は気づいた時に返すなど、サークルの業務を翌日に持ち越さないようにしていました。また、週に3〜4日、駿河台キャンパスの10号館で行う明オケの練習にもしっかり参加し、演奏会に向けて団員と1つの音楽を完成させていきました。それ以外の隙間時間は、大学の授業課題や研究活動、バイトに全て充てて、メリハリをつけた生活を送りました。

当時は、明オケの通常運営に加え、創立100周年記念事業の準備、コロナ禍で休止していた東京六大学オーケストラ連盟の活動復活・運営にも携わりました。多岐にわたるイベントや企画を並行して進めていたため、研究室の皆や指導教員の鹿喰先生には、日程調整などでご迷惑をかけることもありましたが、快く協力してくれたおかげで乗り切ることができました。この場をお借りして感謝を伝えたいです。

*2総合数理学部・鹿喰善明(シシクイヨシアキ)研究室
筆者が紹介する「Meiji NOW ようこそ研究室へ 鹿喰研究室」の記事はこちらから。

大イベント「創立100周年記念事業」での出会いと価値観の変化

年に数回ある演奏会や合宿、お客様を呼ばない部内演奏会、団員同士の交流を深めるための納涼船、運動会など、明オケにはイベントがたくさんあります。運動会は普段は運動しない明オケ団員が、この日は体をよく動かさなければいけないため、団員の意外な一面を見ることができる、ある意味貴重な一日です。

合宿となると参加人数も多い上に、急なスケジュール変動対応や団員の体調など、気を遣うことも多く、合宿中(+準備を含めた数週間前)はとても忙しない状態です。各イベントに共通しますが、そのようなイベントが終わった後に、団員から「楽しかった」という言葉を聞くと、とても達成感・やりがいを感じることができました。

中でも、OBの皆様と共に企画した創立100周年記念事業*3のイベントの一つ、100周年祝賀演奏会・祝賀会は、過去に開催した前例がなかったため、自分たちでスケジュールや方針を決め、進めていく必要がありました。明オケの2,000名を超える校友の皆様とご縁を結び、多くの新たな交流が生まれました。

人生の大先輩である校友の皆様と話すうちに、自分の価値観も変わっていくのを感じました。イベント当日に「楽しかった」という声をこれまでにないほどたくさんいただき、その分だけ大きなやりがいを実感できた行事でした。

*3  明オケ100周年特設ページ:https://meioke.com/lp/100th/ 
1923(大正12)年4月末に設立されてから現在までの歴史が語られている。

20240121_アカデミーホールで行った100周年祝賀演奏会

同期とチームで分かち合えた幹事長の責任

ここまで見ると、「明オケの幹事長」はとても大変な仕事だと思われるかもしれません。しかし、明オケの中では、会計は予算・支出管理、合宿担当は旅行会社・宿泊施設との調整や緊急時対応、演奏会担当は演奏会の準備や当日の進行、庶務担当は資料作成や備品管理など、多岐にわたる役割を同期一人一人が担い、それぞれが責務を果たしてくれていたのです。

その結果、幹事長であった私は全体の舵取りとフォローに専念でき、効率的な運営を実現できました。同期の強いチームワークと連携があり、私の仕事量としては総じて少なかったと思います。

生涯にわたり音楽を楽しめる機会と環境づくりを!

現在は、明オケのOB団体である「明治大学OB交響楽団」の代表を務めており、明オケの校友を集めて演奏会を開催しています。社会人になると演奏機会が減少し、楽器から離れてしまう方が少なくありません。しかし演奏技術は一生の財産であると考えています。そこで、卒業後も楽器を手放すことなく、生涯にわたり音楽を楽しめる環境づくりに少しでも貢献できれば幸いです。

2025年5月18日、明オケのOBになって1年目になってすぐの時に、明治大学OB交響楽団の演奏会を開催しました。この団体もやはりコロナ禍で活動が休止になっていて、私が代表を引き継いだことで活動が再開できました。演奏会終了後には「久しぶりに楽器を弾けて楽しかった」「またぜひ参加したい」といった声を多くの参加者から頂戴し、大きな喜びを感じました。

卒業して社会人になっても、一緒に青春を過ごした仲間と音楽を楽しめるのが、明治大学OB交響楽団ならではの魅力だと思います。今後も演奏会などを企画・運営し、世代を超えた絆を深めながら、明オケのOB・OGの皆様が生涯にわたって音楽に関わり、一生の仲間を作る機会を提供し続けていきたいです。

20250518_OB団体での1枚

明治大学大学院
先端数理科学研究科 先端メディアサイエンス専攻1年
潮田 駿
(2025年8月時点)